命令や強制によって、成長や成果を目指す。
そんな教育(育成・指導)の形を超少数派にしていきたい。
これは私にとっての一つの志です。
時に、強制的に何かを行わせることで学びを得て、
成長していくこともあるのも事実です。
守破離の「守」の時期は、確かに必要な場面もあります。
ただ、このような意図や戦略ではなく、
そのようなスタイルしか取れないということは、
明らかな問題・課題であると言わざるを得ません。
私が教員の仕事を始める前、
赴任する高校に行く機会がありました。
時期的には卒業式前ということで、
卒業式に向けた礼儀作法のトレーニングを実施していました。
そこで、私に大きな影響を与えた出来事がありました。
それこそが、
命令や強制によって成長や成果を目指す教育、でした。
誰が何て言おうが、私が感じたもの。
それは、
生徒たちの目から「卒業式を成功させよう」という
ポジティブな心を感じられなかったというものでした。
一体、誰のためのトレーニングなんだ?
もはや、「成功」の絵そのものに、感覚のずれを感じました。
そこで私は誓いました。
命令や強制ではなく、一人ひとりの目的や意義を育てることで、
自らの意志で持っている力を最大限引き出せるような環境をつくれる教育者になろう。
あの日から、沢山の時間が経過しました。
学校教育、法人営業、社会人教育・・・
色々な経験をしてきました。
ただ、どんなに時間が過ぎても、経験を重ねても、
この思いだけは、変わることがありませんでした。
『命令や強制ではなく、一人ひとりの目的や意義を育てることで、
自らの意志で持っている力を最大限引き出せるような環境をつくれる教育者になろう。』
ここへの貢献こそ、私が追及したい仕事。
人を活かす時代に、貢献していきます。
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